将棋の歴史

古代インドの盤上遊戯に始まり、平安時代に日本で遊ばれ、持ち駒という独自のルールを得て今の形になった将棋。おおよそ千年の流れを、年代と出来事で追います。

起源と日本への伝来

将棋の祖先は、古代インドのチャトランガだとする説が有力です。チェス、中国のシャンチー、朝鮮半島のチャンギ、タイのマークルックも同じ祖先をもつと考えられています。ただし、チャトランガがいつ生まれたのか、将棋がいつ、どの道筋で日本に伝わったのかは、はっきりしていません。中国・朝鮮半島を経由したとする説と、東南アジアから伝わったとする説があります。

  1. 1058年興福寺出土駒奈良・興福寺の境内から1993年に出土した駒で、天喜6年(1058年)の木簡と一緒に見つかりました。現存最古の将棋の駒で、すでに今と同じ五角形をしています。玉将・金将・銀将・桂馬・歩兵があり、「王将」はありません。
  2. 11世紀『新猿楽記』に将棋の記述藤原明衡が書いた『新猿楽記』に、登場人物の趣味の一つとして将棋が出てきます。文献に残る最も古い将棋の記録とされます。

平安〜室町時代:本将棋の成立

鎌倉時代初めの『二中歴』には、いまの研究で「平安将棋」と「平安大将棋」と呼ばれる2種類の将棋が記録されています。平安将棋の駒は玉・金・銀・桂・香・歩の6種類で、飛車と角はまだありませんでした。その後、盤や駒の数を増やした大将棋、中将棋などが生まれ、やがて9×9の盤に落ち着いていきます。

15〜16世紀ごろに固まったとされる本将棋の初期配置(9×9・8種類・40枚)
15〜16世紀ごろに固まったとされる本将棋の初期配置(9×9・8種類・40枚)

世界の将棋類の中で、取った駒を自分の駒として使える(持ち駒)のは日本の将棋だけです。持ち駒のルールがいつ生まれたのかは定説がなく、日本将棋連盟は15〜16世紀ごろとみています。

  1. 13世紀ごろ大将棋と小将棋駒の種類を大幅に増やした大将棋が指されます。同じころ、平安将棋に飛車・角行・酔象を加えた小将棋が現れます。
  2. 14〜15世紀中将棋が生まれる大将棋を簡略にした中将棋が考案されます。中将棋は江戸時代以降も一部で指され続けました。
  3. 15〜16世紀持ち駒ルールと本将棋持ち駒のルールが使われるようになり、小将棋から酔象が除かれて、いまの本将棋(9×9、8種類の駒)の形になります。
  4. 16世紀酔象廃止の伝承後奈良天皇が酔象を除かせたという話が江戸時代の書物に残っていますが、史実ではなく伝承とされています。

江戸時代:家元と御城将棋

江戸幕府は将棋を保護し、将棋の家元に俸禄を与えました。名人は大橋本家・大橋分家・伊藤家の三家が受け継ぐ終身の地位で、毎年将軍の前で対局する御城将棋が最高の舞台でした。この時代に作られた詰将棋集は、いまも名作として解かれています。

  1. 1612年大橋宗桂が幕府から俸禄を受ける日本将棋連盟は初代大橋宗桂を一世名人として数えています(1612年を名人の始まりとすることには、史実としての疑問を示す研究者もいます)。
  2. 1636年禁じ手が文書に二世名人大橋宗古の『象戯図式』に、反則(禁じ手)の規定が初めてまとめて書かれます。
  3. 1716年御城将棋の日が11月17日に八代将軍徳川吉宗のころ、御城将棋を毎年11月17日に行うことが定まりました。この日付がのちの「将棋の日」になります。
  4. 1734年伊藤宗看『将棋無双』七世名人三代伊藤宗看が幕府に献上した詰将棋100番。難しさから「詰むや詰まざるや」の名で知られます。
  5. 1755年伊藤看寿『将棋図巧』宗看の弟、伊藤看寿の詰将棋100番。第99番は盤上の駒がほとんど消えていく「煙詰」、第100番「寿」は611手の長編です。
  6. 1816〜1859年天野宗歩の活躍家元の出身ではなく名人にはなれませんでしたが、圧倒的な実力から「実力十三段」と呼ばれ、のちに「棋聖」と称されました。現在の棋聖戦の名はここから来ています。1856年の御城将棋で指した「遠見の角」の一局は名局のページで並べられます。
  7. 1868年家元制度の終わり幕府が倒れて家元は俸禄を失い、家元の時代が終わります(御城将棋は1864年が最後でした)。

明治〜昭和前期:新聞将棋と実力制名人

家元を失った将棋界を支えたのは新聞でした。新聞が棋譜を載せ、対局の主催者になる形は、いまのタイトル戦にもそのまま続いています。名人も世襲ではなく、実力で決める制度に変わりました。

  1. 1898年小野五平が十二世名人に家元の出身でない初めての名人です。
  2. 1899年ごろ新聞に棋譜が載り始める新聞社との契約は、いまもプロ将棋の大きな収入源です。
  3. 1921年関根金次郎が十三世名人に終身名人としては最後の名人になりました。
  4. 1924年東京将棋連盟の結成東京の3つの団体がまとまり、東京将棋連盟ができます。日本将棋連盟は1924年9月8日を創立の日としています。
  5. 1935年実力制名人戦の始まり関根名人が名人位を退くことに同意し、名人を棋戦の成績で決める方式が始まりました。
  6. 1937年木村義雄が初の実力制名人1937年12月に名人を決め、1938年2月に正式に名人となりました。

戦後:順位戦とタイトル戦の時代

戦後は名人戦の予選として順位戦が始まり、新聞社などが主催する棋戦が次々とタイトル戦になりました。大山康晴、中原誠、谷川浩司と、時代ごとに第一人者が現れます。

  1. 1946年順位戦が始まる名人への挑戦者を決めるリーグ戦として始まりました(現在はA級〜C級2組の5クラス)。
  2. 1947年日本将棋連盟の名称に初代会長は木村義雄です。1949年に社団法人、2011年に公益社団法人になりました。
  3. 1952年大山康晴が名人に名人を13期連続で保持し、十五世名人となりました。1962年には当時の5タイトルをすべて持つ五冠を達成しています。
  4. 1972年中原誠が24歳で名人にのちに十六世名人となります。
  5. 1975年11月17日が「将棋の日」に御城将棋の日付にちなんで、日本将棋連盟が制定しました。
  6. 1976年東京・千駄ヶ谷に将棋会館「千駄ヶ谷」が将棋界の代名詞になります。2024年10月には新しい将棋会館に移転しました。
  7. 1983年王座戦がタイトル戦にこれでタイトルは7つになりました。
  8. 1988年竜王戦が始まる十段戦を引き継ぐ形で読売新聞が創設し、初代竜王は島朗です。
  9. 1996年羽生善治が七冠2月14日、王将を奪取して当時の7タイトルをすべて同時に保持しました。

コンピュータ将棋と電王戦

2010年代、将棋ソフトはプロ棋士を上回る強さになりました。プロとソフトの対戦は大きな話題になり、いまでは棋士がソフトを研究に使うのが当たり前になっています。対局中継でおなじみの「評価値」も、この流れから広まりました。

  1. 2012年第1回将棋電王戦米長邦雄永世棋聖がソフト「ボンクラーズ」に敗れました。
  2. 2013年第2回電王戦現役プロ5人とソフト5つの団体戦で、ソフト側の3勝1敗1分。
  3. 2017年佐藤天彦名人がPonanzaに敗れる第2期電王戦で名人が0勝2敗。この対戦を最後に、電王戦は終了しました。

羽生善治と藤井聡太の時代

タイトルが8つになった2017年以降、将棋界の話題の中心は藤井聡太です。2023年には八大タイトルをすべて同時に保持しました。その後は伊藤匠らの若手がタイトルを奪い、複数の棋士がタイトルを分け合う時代に入っています。

  1. 2016年藤井聡太が14歳2か月で四段史上最年少のプロ棋士です。翌2017年にはデビューから29連勝の新記録を作りました。
  2. 2017年羽生善治が永世七冠竜王を奪還し、当時の7タイトルすべてで永世称号の資格を得ました。翌2018年に国民栄誉賞を受賞しています。
  3. 2017年叡王戦がタイトル戦にタイトルは8つになりました。
  4. 2020年藤井聡太が17歳11か月で棋聖史上最年少でのタイトル獲得です。
  5. 2023年藤井聡太が八冠6月に名人を獲得し、10月11日に王座を奪取して、8つのタイトルをすべて同時に保持しました(21歳)。
  6. 2024年伊藤匠が叡王を獲得6月、叡王戦で藤井に3勝2敗。藤井にとって初めてのタイトル戦敗退でした。
  7. 2025年伊藤匠が王座も獲得10月に王座戦で藤井を破り、二冠に。藤井は同年11月に竜王を5連覇して永世竜王の資格を得ています。

女性と将棋

プロ棋士(四段以上)とは別に、1974年に女流棋士の制度が生まれました。女流タイトル戦は現在8つあります。奨励会を経て棋士を目指す女性も増え、棋士資格に手が届くところまで来ています。

  1. 1961年蛸島彰子が女性で初めて奨励会に入会
  2. 1974年女流棋士制度の発足6人が最初の女流棋士となり、最初の女流タイトル(現在の女流名人)が創設されました。
  3. 2013年里見香奈(現・福間香奈)が女性初の三段奨励会三段に女性が昇段したのは初めてです。
  4. 2020年西山朋佳が三段リーグで次点14勝4敗で次点となり、女性として最も四段に近づきました。
  5. 2022年〜棋士編入試験への挑戦里見香奈(2022年)、西山朋佳(2024〜25年)、福間香奈(2026年)が挑みましたが、いずれも合格には届きませんでした。
  6. 2026年西山朋佳が女性初の棋士資格10月、白玲を通算5期獲得し、2025年に定められた新しい規定により棋士になる資格を得ました。資格を行使するかどうかは、2026年10月17日時点では未定です。

よくある質問

将棋はいつ日本に伝わったのですか?

はっきりとは分かっていません。確実な最古の証拠は、奈良・興福寺で出土した1058年(天喜6年)ごろの駒です。それ以前に伝わっていたと考えられていますが、時期や経路には諸説あります。

持ち駒のルールはいつからありますか?

定説はありません。日本将棋連盟は15〜16世紀ごろに使われるようになったとみています。取った駒を再び使えるのは、世界の将棋類の中で日本の将棋だけの特徴です。

「将棋の日」が11月17日なのはなぜですか?

江戸時代、将軍の前で指す御城将棋が毎年11月17日に行われていたことにちなみ、1975年に日本将棋連盟が制定しました。

名人は昔から実力で決まっていたのですか?

江戸時代から関根金次郎十三世名人までは、家元や推挙による終身制でした。1935年に実力制名人戦が始まり、1937年に木村義雄が最初の実力制名人になりました。

参考資料

最終更新: 2026-10-17